【考察】「パッション」(ネタバレ)ショック死する観客も!?処刑シーンがえげつない作品No.1

問題作、衝撃作、上映禁止等

「パッション」の作品紹介

製作 2004年
ジャンル 人間ドラマ
監督 メル・ギブソン
キャスト ジム・カヴィーゼルモニカ・ベルッチマヤ・モルゲンステルン

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「パッション」のヤバいところ

この映画は、イエス・キリストが処刑される様子を描いた作品なのですが、なんといっても、キリストへの拷問シーン、そして十字架に張り付ける処刑シーンが残酷すぎると話題になりました。

 

あまりにも衝撃的描写ゆえ、上映中に観客がショック死するというとんでもない逸話を残しています。

事実、「え?これ、もしかして演技無しで本当に拷問してるんじゃない?」と疑ってしまうくらいリアルなんです。一体、どうやって撮影しているんでしょうか?

映画全体の尺としては約120分ありますが、その内約90分間は拷問もしくは処刑をしているシーンです。心臓が弱い方は絶対に見てはいけません

 

さて、この時にイエス・キリストが受けた処刑を「磔の刑」というのですが、一体どのような処刑方法だったのでしょうか?

せっかくなので、「磔の刑」の流れを紹介しましょう。受刑者の気持ちになって読んでみてください。

①鞭で打たれる
受刑者はまず、鞭で打たれて痛めつけられます。この時の鞭打ちは相当強力だったようで、鞭打ちだけで死亡する受刑者も少なくなかったようです。
この映画でも、キリストは刃付きの鞭で打たれていました。確かにこれは、死んでも不思議ではないと思わせる残忍すぎる鞭打ちですね。

②十字架を処刑場まで運ばされる
十字架の横木を担がされ、処刑場まで運搬させられます。そもそも、鞭打ちで身体的ダメージが高くフラフラな状態なので、横木を運搬するだけでも想像を絶する重労働。
この映画では、やじ馬たちが都度邪魔をするので、キリストはそのたびに十字架を落としては担ぎ直し、まさに命がけで運搬していました。

③寝かされた状態で十字架に固定される
これまで運んできた十字架に、寝かされたまま固定されます。その際、身体に釘を打ち付けられます。
釘の打ち付け場所は概ね決まっており、両腕の橈骨、尺骨、手根骨、両足の踵だったと言われています。この場所に打ち付ければ、受刑者は安定して十字架に固定されていたということです。

④身体固定されたまま十字架を起こされる
釘で身体を打ち付けられたまま、十字架を起こされます。すると、受刑者の全体重が両腕にかかることになり、両腕が脱臼することになります。
両腕が脱臼することにより横隔膜に負担がかかり、結果として受刑者は呼吸困難に陥り死亡したということです。

この映画では、かなり忠実にこの処刑を再現しているように感じます。

倫理的にどうかという問題は置いておいて、映像技術と役者の演技力には脱帽です。

「パッション」の考察及び感想

この映画は、ストーリーとしては難解な部分はありませんが、とにかく拷問・処刑シーンが凄まじいというところが特徴です。文字だけでは、その残酷さがなかなか伝わりきらない部分がありますので、実際に見ていただくのが一番早いと思います。

ただし、本当にリアルでトラウマ級の衝撃を受けること間違いありません。何しろ、ショック死する人までいるくらいなので・・・心臓の弱い方、くれぐれも閲覧にはご注意願います。

 

また、前述したとおり、宗教色の強い映画でもありますので、予備知識を備えた上で見ていただくと、内容がより理解しやすいと思います。

補足説明(ユダヤ教とキリスト教)

ここで宗教に関するちょっとした補足説明を入れたいと思います。

この映画は、宗教色の強い映画でもありますので、無宗教である日本人の感覚では、ストーリーを読んでも「なんでこうなった?」となってしまう可能性が高いと思われます。

 

今から約2000年前、世界の覇権を握っていたのはローマ帝国ですが、最も普及していた宗教が『ユダヤ教』でした。

ユダヤ教では、『ヤハウェ』を唯一神として揚んでおり、いつかはダビデ王の末裔である救世主(メシア)が現れこの世界に王国を建設する、と信じられています(これを『メシア思想』と言います)。

そんななか登場したのが、本作の主人公でもあるイエス・キリストでした。

キリストは、数々の奇跡を起こし、数多くの弟子を抱え、当時のユダヤ教のあり方を痛烈に批判していました。

そしていつしか、キリストは周囲から「この人は救世主(メシア)ではないか?」と言われるようになるのです。

 

しかし、「おまえがメシア?んなわけねーじゃん!」となって激おこだったのが、当時のユダヤ教の指導者たちです。

彼らにとって、メシアがイエス・キリストだったことになってしまうと非常に都合が悪いのです。

従って、徐々に影響力を持つキリストの存在を疎ましいと思うようになっていったのです(ちなみに、メシアをイエス・キリストだとするのが、現在のキリスト教です)。

なので、イエス・キリストはユダヤ教徒たちから信じられないくらいの迫害を受けていたというわけです。

この辺を踏まえてストーリを読んでいただけると、理解がしやすいと思います。

 

この辺の話は、日本人にとってなかなか馴染みがありませんよね(・・;)

しかし、実際に宗教上の考え方の違いで戦争が起こったりしますので、宗教とは本当に難しいものです。

「パッション」のストーリー(細部)

ユダの裏切り、キリストの逮捕

映画の冒頭は、キリストがヨハネ、ペトロ、ヤコブの3人の弟子を連れ、森の中を逃走しているシーンから始まります。ユダヤ教の指導者たちは、自らを『メシア』と名乗るキリストを排除しようと考え、彼を逮捕しようと躍起になっていたのです。

しかし、キリストの弟子であるはずのユダは、師のキリストを裏切り、銀貨30枚でユダヤ教指導者にキリストの居場所を教えてしまうのです。

キリストは、たちどころにユダヤ教側に捕まってしまうのです。

 

ちなみにキリストは、自分が捕まっているのにの関わらず、負傷した教会側の兵士の傷を治したりとかしてます。(どんだけいいヤツやねん!)

私的裁判にかけられ「有罪」

キリストは、ユダヤ教大祭司の元へ連れて行かれます。連行されている間にも、殴る蹴るの暴行を受けて、片目は既に潰れています。

大祭司は、キリストをその場で私的裁判にかけます。裁判の争点はもちろん、『キリストがメシアなのか、そうじゃないのか』の一点です。

大祭司はキリストに「おまえはメシアなのか?」と聞くと、キリストは「”人の子”が、全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのをみるだろう」と、めっちゃ遠まわしに「はい」と言うので、「これは冒涜だ」とし、キリストを有罪します。

裁判を見ていた人の中には、「有罪である証拠がない」「これは正式な裁判じゃない」と、一部キリストを擁護する人もいましたが、すべて却下されます。

 

そしてキリストは、有罪と決まった瞬間から、教会側の人間からボコボコにされます。(この時代の人たちは野蛮すぎる・・・)

 

ちなみに、一番古残の弟子であるペトロは、「おまえキリストの弟子だろ」と教会側の人間に聞かれた時、自分が攻撃されるのを恐れ「知らん」と3回言います。

これによって、ペテロは後世にまで「裏切り者」と言われることになります。

ユダヤ属州総督ピラト

大祭司としては、キリストをなんとしても死刑にしたかったのですが、当時のユダヤ教の教えでは死刑を禁止していたため、自分たちだけではどうしてもキリストを処刑することができませんでした。

そこで大祭司は、ローマ帝国側に犯罪者としてキリストを引き渡し、処刑してもらおうと考え、ユダヤ属州総督であるピラトの元へ連れて行きます。

ピラトは、ユダヤ教側の言い分を聞いても、キリストの処刑に関して消極的な姿勢を見せます。ピラトは、キリストを処刑すべきではない人間だと考えているようでした。

ピラトは、キリストに「おまえはユダヤの王なのか?」と聞くと、キリストは「私の国は地上にない」「私は、真理について証明をするために生まれてきた」と答えます。

質問に対して、イマイチ噛み合っていない答え方をするキリストですが、これはめっちゃ遠まわしに「はい」と言っているように聞こえます。

無罪・・・のはずが

ピラトは、キリストを「裁けない」と一度は決めるのですが、それを聞いたユダヤ教会側は納得できず、会場は暴動寸前まで加熱します。

自分の失脚を恐れたピラトは、キリストをムチ打ちの刑にするという、キリストを処刑せずに教会側の要求もある程度飲むという折衷案をひねり出します。

拷問の始まり(ここからショッキング)

かくして、キリストはムチ打ちの刑に処されます。

広場に連れて行かれたキリストは、中央の台座に縛りつけられます。いかにも体力がありそうな兵士二人がやってきて、ムチを持ちます。この時に使うムチは、長さは1m前後で、細くてよくしなる木製のムチでした。

号令とともにムチ打ちが始まります。一発打つたびに、キリストの背中にはまるでミミズのような腫れが出来ていきます。

苦悶の表情を浮かべるキリストですが、兵士が何十回と打っても「まだまだいけるぜ」的な雰囲気を醸しだします。

 

このキリストの様子を見て、兵士はムチの種類を変えます。今度は、鉄製のムチで、しかも先端にはジャラジャラした鋭利な破片が大量に付いている、明らかに痛そうな物を用意してきました。

その新しいムチで、兵士はムチ打ちを続行します。キリストの体に与えるダメージは、今までの木製のムチとは比べ物にならないくらいでした。

倫理規定に触れるため詳しく書けませんが、とにかくえぐいです(;’∀’)

 

兵士たちは、ある程度打ったところでキリストを仰向けにして、今度は胸や腹部へのムチ打ちを始めるのでした。

 

「このまま死んでしまうのではないか?」そう思った時、ようやくムチ打ちが終了します。かなり凄惨な拷問シーンでした。

ムチ打ちだけで済まず

ピラトは、瀕死でフラフラのキリストを壇上へ連れて行き、「ここまでやったからいいだろ」とユダヤ教側に言います。しかし、それでもユダヤ教は「死刑にしろ」と言います。

ピラトはなんとかキリストを釈放できるよう考えるのですが、ついに教会側の圧力に屈し、キリストを十字架に掛けて処刑する決断を下しました。

 

キリスト、完全にムチ打たれ損です。

処刑準備

こうして、キリストは十字架に掛けられて処刑されることになりました。

キリストは、自分の体の2倍はあろうかという巨大な十字架を担がされ、ゴルゴダの丘まで運ばされます。つい最近ぎっくり腰をやらかした私がやったら、担いだ瞬間「グギッ」といってしまいそうな程重そうな十字架です。

 

キリストは、ゴルゴダの丘に向かうまでに何度も転んでしまいますが、その度に兵士たちから暴行を受け、唾を吐きかけられます。あまりにも残酷で、とても見ていられません。

キリストが息絶えでの中で十字架を運んでいる姿を見かねて、シモンという者が現れ、キリストを手助けし、一緒に十字架を担いでゴルゴダの丘まで同行します。

処刑

いよいよ処刑が始まります。

詳しくは書けませんが、この処刑シーンでも相当残酷な行為が行われます。

もう、目を覆いたくなるくらい痛々しいシーンの連続です。

 

最後は両足を釘で打ち付けられ、十字架の貼り付けが完成します。大祭司は「おまえがメシアなら、この十字架から降りてみろ」と言いますが、キリストは「神よ、彼らをお救いください」と祈るばかりです(いいヤツすぎる)。

 

そして、十字架に貼り付けられたキリストは、しばらく放置されたあと、ついに絶命してしまいます。絶命後、キリストが本当に死んでいるかどうかを確かめるため、脇腹をヤリで一突きしますが、この槍の名前を「ロンギヌスの槍」といいます。

決して、「エ○ァンゲリオン」が発祥ではないのです。

復活

映画の最後、暗闇の中から一人の男が立ち上がります。この男、手のひらには釘が打ち込まれたような後があります。そうです、この男こと紛れもなくイエス・キリスト本であり、自ら奇跡を起こして復活したのです。

ちなみに、聖書上はで、キリストは十字架の張り付けから三日後に復活したとされており、まさに聖書のないように基づいた映画であると言えます。

1分で振り返るストーリーまとめ(忙しい人向け)

忙しい人向けに、本作の内容を1分で把握できるようにまとめてみました。

✔ キリストは、「自分自身をメシアだと言った」という罪で、ユダヤ教会から追われていた。
✔ ユダの裏切りにより、キリストはユダヤ教会に捕まってしまう。
✔ ユダヤ教会は、キリストを死刑にしたいが、ルールにより死刑にできない。従って、州総監のもとにキリストを連れて行き、裁判にかけてもらうことになった。
✔ 裁判の結果、キリストは有罪になり、むち打ちの刑に処される。
✔ しかし、ユダヤ教会は納得しない。高圧的に死刑を求刑し、州総監は圧力に負けてキリストに死刑の判決を下す。
✔ キリストは、ゴルゴダの丘まで十字架を背負ったまま歩かされ、十字架に張り付けられて処刑される。
✔ 3日後、キリストは復活する。

 

興味が湧けば、ストーリー(細部)も読んでいただけると嬉しいです!!

 

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